設立経緯
ここでは、BuyChemJapan立ち上げに至った原体験を紹介していきます。

ビジョン
テクノロジーで日本と世界のコミュニケーションを増やす
Scene1
原体験:日本は世界一閉鎖的な国?
1995年12月。代表の大口は、オーストラリアのタスマニア島で現地の人たちに日本語を教えながら、この南極にほど近い島の涼しい夏休みを楽しんでいました。
東京に住んでいたことのあるというエミリー(仮名)も「日本語教えます」という新聞広告に応募した一人でした。タスマニア出身であるエミリーにとって、東京での生活は刺激的で気に入ったようでしたが、日本の社会に受け入れられたとは感じていませんでした。
日本では疎外感を感じることが多かったようで、ビールを飲むといつも「日本は世界一閉鎖的な国だ」と繰り返していました。
ポイント:
一人のオーストラリア人には日本社会は「世界一閉鎖的」と映った

ミッション
世界と日本の相互理解を深め、距離を縮める
Scene2
原体験:外国人と想いを語り合い、背景や視点を分かりあった
タスマニアの夜はビール片手にクリケットの試合を観ながら、フラットメイトのジャック(仮名)とよく話をしました。
ジャックは、愛すべき典型的なオーストラリア人でいつも冗談を言ってましたが、ある日少し飲みすぎた彼は、第二次世界大戦での日本軍によるダーウィン空襲への想いを語りました。アメリカ軍による空襲で家を二回失った私の祖母の話を何回も聞かされていた私は、同じ戦争への別視点からの想いを聴いて、歴史は一つではないということを実感しました。
この日ビールを触媒として、ジャックと私の相互理解は確実に進み、二人の距離は近くなりました。
ポイント:
立場が変われば視点も変わるが、対話することで互いを理解し合える。

ホワイトカラーの逆襲
良いモノを作るだけでなく、賢く売る
Scene3
原体験:メーカーの製品力で世界相手に仕事が出来た古き良き時代
オーストラリアから帰国後、化学品専門商社で日本のメーカーと海外顧客をつなぐ営業の仕事に就きました。昔は未熟な若い商社マンでも少しの愛嬌が少しあれば、日本メーカーの製品力のおかげでビジネスをすることが出来ました。
世界中のバイヤーに頼りにされる面白い仕事で、様々な海外顧客と日常的に交渉をしていると、日々の市場動向を肌感覚で感じることが出来ました。また、それぞれの国の価値観やビジネス傾向も学びました。しかし、最近は少しずつ日本の相対的な存在感が低下していることを感じます。
ポイント:
世界相手に仕事をして、海外向けの販売スキルが向上した。

デジタル化
人は人にしか出来ない仕事に専念する
Scene4
原体験:アナログな化学品ビジネス
商社パーソンとして必要なノウハウは暗黙知として各社員が持っていました。まとまった教材やデータはなく、分からないことがあれば都度上司や先輩に聞きに行きました。
よく仕事帰りに一杯やりながら教えてもらいました。暗黙知はかなり明文化されましたが、対面ミーティング、電話での交渉、人的コネクション、代理店経由の販売、製品カタログ、エクセルでの作業といったアナログ的ビジネス手法は現在もあまり変わっていません。
ポイント:
ひと昔前の化学業界は、アナログ環境の中で属人的に仕事が行われていた。